「読書家」の高校生とのカウンセリング

「読書家」の高校生とのカウンセリング

心理臨床家 高垣 忠一郎

嫌なことをすることががんばること

30年ほど前に、不登校になって「読書家」になった高校生のカウンセリングをしたことがある。その彼とのやり取りが面白かった。彼は「嫌なことをすることが、がんばることだ」という「がんばり」観をもっていた。「以前は本を読むのが嫌だったから、本を読むとがんばっているような気がした。でもいまは本を読むのが好きになってきたから、それをしていてもがんばっているような気がしない。ただ、好きなことをやっているのではないかというそんな感じがする」という。

逆に今は言葉が独り歩きするのでは?

《なるほど、嫌なことをしないとがんばっている感じがしない。したいことだけをしているだけで、こんなんでいいのかなという感じ?》 — うん。
《大分、自分の心の中の感じ方や、気持ちが整理され、ことばにできるようになったねえ》
— うん。以前はうまくことばにならなかったけれど、いまは逆にことばが独り歩きするのでは?という逆の心配が出てきた。

好きなことだけ→は逃げていること?

《君にとっては、嫌なこと、しんどいことに挑戦してつらい目をしないとがんばっている気にならないのやなあ。好きで一生懸命やっても、がんばっている気にならないのかな?》 ……
《君の心の中には、嫌なことでがんばらないとがんばっていることにならないというものの見方、感じ方があるのだね。その辺は、考えてみる値打ちがありそうやねえ?好きなことだけやっていると、嫌なことから逃げているという感じがあるのかな?》
— うん。

気持ちをことばで表せるのは 本を読んでいるせい?

《いろいろ気持ちをことばで、表せるようになってきたのは、本を読んでいるせいかな?小説は人の内面を描きだしているから、いろいろ人の心の動きに気がつくし、主人公の心の動きに自分の心の動きを重ねあわせみたりして、何かを発見することがあるのかな?》

小説のように自然に心に入って来る方がよい

— ものの見方や考え方について書いてある本もあるけれど、あんな本よりも、そういうものが自然と入って来る小説などのほうがよい。
《ああ、そういうことを論じている本よりも、小説のように自然に入ってくる方がよい?》
— そういうような感じで、いろんなことがわかってくる方がいい。頭だけじゃなくて、心に入って来る。
《なるほどねえ。17歳やねえ?》 —うん。
《17歳は成長の年やなあ》

(教育相談おおさか 会報『わかくさ』第19号 2017.5.2)